矢倉3七銀戦法;現在の主流を齧る(後手△8五歩) [矢倉▲3七銀]
▲3七銀戦法の駒組み段階で△2二玉の入城に代えて図の△8五歩を急ぐ手もあるので見てみたい。この△8五歩という手は最近ではあまり採り上げられることはないようにも思うが、前の記事でも途中の変化で紹介したとおり盛んに指された時期があったのも事実である。
嘗てはこれが主流だった時期も。
当時この△8五歩は直後の▲4六銀を警戒した手であったように思う。具体的には△8五歩に▲4六銀なら△4五歩▲3七銀△5三銀▲4八飛△4四銀右▲4六歩△同歩▲同角△同角▲同銀△4七歩▲3八飛△4九角▲2八飛△4八歩成▲同飛△2七角成▲4五歩△5三銀▲5八角△3五歩▲3七銀△3六歩▲同角△4七歩▲同角△4五馬▲2五角△3四銀▲3六銀△4四馬▲同飛△同銀▲1六角△8六歩▲同銀△3五歩▲4五歩△3三銀▲3五銀△同銀▲7一角△8六飛▲同歩△3九飛(78手目図)で後手よし、は今となっては過去の話か。
嘗ての△8五歩の狙い。後手よし。
尚、前の記事でも紹介したが、上の手順中▲5八角のところ▲4七角と工夫した実戦が羽生-谷川両先生の将棋で、以下△2六馬▲3七銀△1五馬▲1六歩△2四馬▲1五歩△4二銀左▲3八角△3三馬(62手目図)と進んでおり、これらの変化は共に後手よしだと思う。これにより△8五歩に対する▲4六銀がなくなり、これまで見てきた加藤流と言われる▲1六歩~▲2六歩が主流となっていたはずだったのだが、前記事の▲5七金が発見されてからであろうか、いつの間にか再びこの▲4六銀が復活、主流となっていたようである。
厚い後手陣。
それが理由であろうか、時代は変わりこの△8五歩の狙いも新たなものとなっている。
具体的には△8五歩に対し▲4六銀なら△4五歩▲3七銀として△7三角(図)と引くのが新しい指し方。ここ△5三銀はこれまで見てきた流れとなり▲5七金があるため、先手は怖くない。
新しい指し方。
ここで先手にはこれまで同様、▲4六歩といきなり突く手と▲4八飛と一旦溜める手があるので順に見ていく。先ずは▲4六歩から。▲4六歩△同歩▲同角△6四歩と進んで40手目図。
この△6四歩が△7三角からの方針。
この△6四歩が新しい(?)指し方。尚、手順中▲4六同角のところ▲4六同銀と取り、△4五歩▲3七銀△5三銀▲4八飛△4四銀左▲1六歩△6四歩▲1五歩△8四角▲4六歩△同歩▲同銀△6五歩と進んだ実戦もあるが優劣不明の戦いのようだ。
図以下▲4八飛△5三銀▲5七角△8四角▲4六銀△7三桂▲3七桂△4四歩▲4五歩△6五歩(50手目図)と進んで優劣不明。
優劣不明。ほぼ互角。
転換を含みにした△7三角に対しすぐに▲4六歩以下開戦するのはこのような展開が考えられる。
では、△7三角に一旦▲4八飛(図)と溜めるのはどうか。
一旦溜める。いきなり▲4六歩よりもこの方がよいと考えられている。
後手は△5三銀か、△4四銀か。
図の▲4八飛に対しては形よく△5三銀と上がる手と△4四銀と直接4筋を守りにいく手が考えられるようだ。先ずは△5三銀だが、以下▲1六歩△6四歩▲4六歩△同歩▲同銀△8四角▲3七桂△4四歩に▲3八飛(47手目図)と回るのが好形。
通常の4六銀~3七桂型に比べ4筋の歩が切れているのが大きい。
47手目図以下△7三桂▲9六歩△6五歩▲同歩△同桂▲6六銀△6四歩▲3三歩△同桂▲同桂成△同金直▲3五銀△同銀▲同角(65手目図)と進んで先手よし(らしい)。
先手よしと見られている順。
△5三銀は一見、形なのだが、上のような順となって一応先手がよいと見られているようだが、このあと後手からの反撃も見えており、実際は微差ではないかという気もする。そういいつつもここまで綺麗に銀桂が捌ける展開は、確かに先手持ちといいたくもなる。
次に△4四銀を。△4四銀以下▲1六歩△5三銀上▲1五歩△5五歩と進んで42手目図。
後手、角の睨みと中央の厚みで対抗。
この△4四銀は羽生-三浦両先生の実戦に現れた変化。後手は角の睨みを維持したまま中央から反撃しようという構想。△5五歩以下▲5五同歩△同銀▲5六歩△4四銀引▲1七香△2二玉▲1八飛△3三金寄▲2六銀△2四歩▲3七桂と進んで53手目図。
先手ややよしか。
後手は歩を交換して待つ。7三角の睨みを受け、先手も駒組に制限を受けているが図まで進んでみると次に▲4八飛から▲4六歩の仕掛けを見て先手がやや指せる局面のようだ。
以上、▲4六銀と出る手に対しすぐに△4五歩と突く手は4筋に争点を与えてしまうため、守勢をとるのであれば後手としては損な順であるように思う。
参考文献1
将棋世界2010年4月号
参考文献2
参考文献3
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